母から受け継いだもの―きっかけ。―

bell

最近困っていることがあるのだ。
正確には最近ではない。1人暮らしをはじめてからすぐから困っていることがある。

それは「宗教の勧誘」

うちには今どき珍しくインターホンがない。
正確にはチャイムは鳴るがカメラ的なものがないので、誰が来たのか確認できないのだ。

ネットで買い物して商品が届く日は宅配業者が絶対来るから、いつも使っている居留守が使えないのだ。

時間指定も指定してチャイムの鳴る時間を絞っても、知ってか知らずか勧誘はその時間帯に来ることが多い。

以前、宅配業者だと思って出たら、布教の活動をしていらっしゃる人だった。
とりあえず、会話をするより話を聞いて言いたいことを全部言わせてしまえば、
早く次に行ってくれるだろうと黙って聞いていたのが大間違いだった。

結局、暑い玄関先で(その日は猛暑日和)40分以上話を聞き、
お帰りいただいた頃には汗だくと虫刺されで良い事は1つもなかった。

そして置き土産にパンフレットのようなものを置いていったが、そこには聖書がどうこう書いてあった。

残念ながら、今のところ世話になる機会はなさそうなので捨てようとゴミ箱の前まで行ったその時、思いついたのだ。

「少しでも相手のことを知っていれば何か対処法が見つかるかもしれない」

汗と虫刺されは2度とごめんだと本気で思ったことも手伝い、調べてみることにした。

まず、残された手がかりのパンフレットからわかるのは聖書の文字。
このことからキリスト教の勧誘である可能性が濃厚だ。

というわけでまず、キリスト教の布教活動について調べてみたのだが、
どうやら聖書がどうこう言って勧誘してくるのはキリスト教ともうひとつ「ものみの塔」という団体があるらしい。

一般的には「エホバの証人」と言う呼び方のほうが浸透しているようなので、ここでは「エホバ」と言うことにする。

では、この2つの団体は一体何が違うのか?何のために布教活動をしているのか?ざっくりとだが調べてみた。

キリスト教とエホバの証人(ものみの塔)の違いについて

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キリスト教もエホバも聖書を読み神を信仰するのは一緒なので、
何も知らない私や母からすれば同じように見えるのだが、
両者としては「全然違う!一緒にするな!」らしい。

一番の大きな違いは「キリストを神とするかどうか」だそうだ。

まず、キリスト教は「父なる神とともにイエス・キリストを神として信仰」している。

キリスト教には三位一体と考え方があって、
それは「父(神)と子(キリスト)と聖霊は、

一つの神が三つの姿となって現れたものである」という考え方だ。
この考えだと「キリストも神」となる。(三体に分かれたうちの一体だから)

では、エホバはどうかと言うと、

「エホバだけが神であり、キリストは神ではなく神のような存在」としている。

エホバとは、聖書の神のことなのだそうだ。
(「エホバ」というのは旧約聖書に出てくる神の名前だが、読み方がわからなくなっていたため、
13世紀ごろに便宜的な読み方として作られた。)

なので「聖書にある神エホバこそが神でありキリストは神ではない」となるようである。

キリスト教は 「神=キリスト」 エホバは 「神=聖書にあるエホバのみが神」

信仰の対象が全く違うのだから、両者からすれば一緒にするな!ということのようである。
同じように見えて全然違うということか。

なるほど、簡単に言うとサザンとTUBEみたいなものか!
(小さい頃は本当に区別できなかった。さすがに今はわかりますよ。サザンは夏だけじゃないことくらい。)

キリスト教とエホバは全く違うということは理解った。ではあのしつこい布教活動は一体何なのか。

キリスト教とエホバの布教活動について

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それではまず、キリスト教から

どうやら聖書にはキリストの宣教命令というものがあるようだ。

(マタイ28章19-20節)
「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

簡単に言うと、聖書にはキリストが自分の教えを広めるように弟子たちに命令している一節があり、
どうもこれがキリスト教信者の仰生活の基本になっているようである。

また、もともとはユダヤ教の一宗派だったキリスト教を世界的な宗教へと広げる基礎を作った、
キリスト教史上最大の布教活動家の使徒ポールが書いた手紙には
「そしていつまでも残るのは信仰と希望と愛であり…その中で一番優れているのは愛なのです」という一言がある。

キリスト教の基盤となっているものは「愛」であるようだ。

これらのことから、
キリスト教信者の布教活動は「神の愛を広げる使命」からきていると考えられる。

では、キリスト教とは似て異なるエホバの布教活動はどうなのだろう。
まず、エホバの証人は「聖書を書いてある通りに全部信じるファンダメンタリスト(聖書原理主義者)である」ことが基本のようだ。

そして、最も最重なのは、聖書のマタイ,24:45のイエスのたとえ話の中にでてくる
「忠実な思慮深い奴隷」というのは、ものみの塔(エホバの証人の正式な団体名)の統治体の事を言っていて、
その統治体が末端信者達にその時その時の必要に応じた教えを一方的に与えることらしい。
組織の言うことは絶対というわけだ。

そして、『今の時代は聖書で預言された通り終わりの時代である。
もうすぐハルマゲドン(世界最終戦争)が来て人類は滅ぼされる。しかしその時にエホバの証人は生き残る。』
というのが根底の共通意識としている。

ものすごく簡単に言うと、

「世界の終末がきてもエホバの活動をしていれば滅びることはないよ!
終末の後の楽園では不老不死だよ(*´∀`*)」となる。

だから『もうすぐ来るハルマゲドンでエホバの証人以外の人間はみんな滅ぼされてしまうが、
それまでに1人でも多くの人に神の真理を伝えて、エホバの証人になってもらおう!
そして無事にハルマゲドンを通過させて、楽園で1人でも多く不老不死にしてあげよう!』と考え、
1人でも多くの命を助ける目的で一生懸命真面目に布教活動しているのだ。

まとめると…

我々の神である聖書にはハルマゲドンという世界の終末が書かれているから、ハルマゲドンは絶対来る!→

忠実な思慮深い奴隷である、ものみの塔が不老不死になりたかったら
布教活動に勤しみ1人でも多くの命を救いなさいと教えてくれている→

自分のためにも他の人のためにも活動がんばろう!

という思考のようである。

エホバには輪廻転生も無いとされているので、滅びたら自我は終わりである。
これを信じているなら「不老不死」は切なる願いだろうなぁ。

キリスト教の布教目的は
「キリストの命令によって神の愛を人々に広げるため」

エホバの布教目的は
「世界の終わりがきても大丈夫なように1人でも多くの命救うため」

とこれまた別の使命を持ってそれぞれ活動している。

どちらも結局は人々を導くためのようだが、キリスト教は現世を対象とし、
エホバは世界が終わったあとを対象としているように感じた。

またまた、サザンとTUBEである。

どうにもこの2つの宗教は相容れることはなさそうだ。
とここまで調べて、キリスト教とエホバは私にとってのサザンとTUBEだったということだけがわかり、
最初の目的であった「しつこい勧誘の対処法」は結局見つけ出すことができそうになかった。

変な知識だけが増えてしまった…。

なんだか急に虚しくなってしまい、調べるのをやめた。

母から受け継いだもの―その後。―

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それから時は経ち、実家に帰省した時のことである。

玄関先に見覚えのあるパンフレットがあった。
これはサザンかな?それともTUBEかも?と思いながら、母に玄関先のパンフレットのことを聞いてみた。

「今朝、宗教の人が来て置いっていったよ」

やはり!サザンかTUBEどちらかが来たのだ!

話しの流れで以前の「汗と虫刺されの地獄の40分間」を話すと、母のところに来た桑田か前田は10分もせずに退散したそうだ。
10分で終わるなんて!なんの呪文を唱えたんだ!私にも是非教えてくれ!
すがる思いで母に聞くと、

「聖書読んで、世界が平和になるなら今起きている戦争は何なんだ。
神様拝んで幸せになるならとっくの昔になっている。」

と唱えたら、確かにそうですね…。仰るとおりですね…。と退散したそうだ。

そしてそれを言うときは、ビシッと言うことがコツだそうだ。
さすが母である。60年も生きると人はこうも堂々とできるのか。

私も60年生きたら宗教の勧誘なんて日常のつまらない出来事の1つに思えるのだろうか。
そんなことを考えていて、気づいたのである。そう、母は60歳。

60歳といえば還暦だ!!

今のいままですっかり忘れていたが、母は今年還暦を迎える年齢だったのだ!
忘れていたことは置いていて、とりあえず何かお祝いをしなくては!
そうだ!何かプレゼントしよう!

こうして私の、母の還暦プレゼントを探す旅が始まるのであった。
もし、プレゼントの受け取り日に勧誘がきたら、母から受け継いだ呪文を唱えてみようと思う。

母の還暦プレゼント

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